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映画感想【ラ・ラ・ランド】本質は「セッション」に近い狂気

今更ながらラ・ラ・ランドについて書こうと思います。

まずは概要から。みんな知ってると思うけどぬるっと読み飛ばしてね。

ラ・ラ・ランドの概要

ラ・ラ・ランド』は2016年に公開され、軽快な音楽と陽気なダンス、俳優たちの真に迫った演技が話題になりました。

世界中で大ヒットし、日本でも多くのファンを掴んだのは記憶に新しいですよね。

 主演はエマ・ストーンライアン・ゴズリング。この2人は本作で一般的にも有名になりました。

脚本・監督は『セッション』のデミアン・チャゼル

脚本・監督を務めたのはデミアン・チャゼル。

チャゼルは大学教授と教師を両親に持ち、映画を作る事に憧れつつ、ミュージシャンになろうと高校生の時にジャズに打ち込みます。

この経験が2014年の『セッション』の基となっています。

『セッション』がオスカーを獲得し、名実ともに実力のある監督となったチャゼルは、2016年に『ラ・ラ・ランド』を撮影し、一気に世界的に有名な監督になりました。

ラ・ラ・ランド』を彩る音楽 

ラ・ラ・ランド』の目玉といえば何と言っても音楽。

その中でも特に評価されているのが『City of Stars』という曲です。

 

本編中で2度登場し、ソロとデュオで歌われたこの歌は2017年のアカデミー賞を受賞したほか、多数の有名な賞を獲得しています。

郷愁的な味わいの中に、ジャズの要素が残るこの楽曲はまさにミュージカルとジャズに親しんだオスカー会員のツボを抑えています。うーん巧い。

 

監督とジャスティンは大学時代に出会うとバンドを組み、卒業後も一緒に仕事をしている友人同士です。『セッション』でも重要な音楽シーンを任されており、『ラ・ラ・ランド』と合わせて高い評価を受けています。

 

ラ・ラ・ランドのあらすじ

夢追い人が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミア<エマ・ストーン>は女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末のバーでピアノを弾くセバスチャン<ライアン・ゴズリング>と出会う。彼はいつか自分の店を持ち、本格的なジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合うが、セバスチャンが生活のために加入したバンドが成功したことから二人の心はすれ違い始める……。

あらすじとしては古典的なロマンス映画です。

後述しますが、この「古典的」というのがこの映画の本質として効いてくるところですね…。

ラ・ラ・ランドの感想・考察(ネタバレあり)

ラ・ラ・ランドの世界観

さて、私個人の感想になりますが、ラ・ラ・ランドが好きか嫌いかで言えば好きです。

音楽はポップ、ダンスはエネルギッシュなシーンが多いにも関わらず、『City of Stars』のような曲が挟まれる通り、全体に寂寞とした雰囲気が付き纏います。

これは、ミアとセバスチャンの2人のプライベートな関係性や、2人の持った夢はある種、運命的でキラキラしたものである一方、仕事や将来性といった公共性のある側面では不安や先行きの暗さを感じさせていて、作品全体の、「感情だけは確かなのに足元の確かさは感じられないふわふわした状況」をうまく表していると思います。

字書きが好きな世界観って感じでかなりエモいです。

でもミュージカル映画の傑作と称されてるのは納得いかない。

あれは名作ミュージカル映画のコラージュを使ったクリエイティブに対する狂気を観る映画だと思うんですよね。

感情移入できないはずの主人公たち

ミュージカルの根幹って夢と希望のファンタスティックショーであると思うんだけど、ラ・ラ・ランドはそれに真っ向から相対するテーマだと思います。 

夢と希望のファンタスティック・ショーの権化みたいな映画のパロディを切り貼りしてるから一見そう見えるんだけど、主題は夢と希望を追いかけた末に何を捨てたか、そして捨てたことに対する一縷の寂しさと、納得。これかなりアイロニックです。

 

将来性のない、確かでない夢をがむしゃらに追いかけるために、唯一確かなもの(=感情)を手放すことができて、それに納得できてしまうという狂気。

芸術で成功する人って、きっとこういう人です。私はそうではないし、多くの人もそうではないから、きっとミュージカルというテクスチャーの奥が見えてこない。

ラストの2人がつつがなく将来を手にした部分を見せて、現実はそうではないというシーンは諸行無常って感じで好きだけど、あれは主人公2人に感情移入していなかったから受け入れられた所があります。

誰もが共感できそうな「古典的なロマンス」の要素を入れておいて、それは成就しない。狂気を持たない私たちは、「古典的なロマンス」という部分に騙されてしまいます。本質はそのセオリーを否定する狂気にあるのに。

私たちはこの2人に感情移入すると思いきや、実はできるはずがないんです。芸術に対する狂気は持っていないから。

本質的には『セッション』

映画『セッション』では、芸術に対する醜くむき出しの情熱と狂気を描き出していましたが、同じスタッフだと思うと納得。

あれは実質ミュージカル版セッションといっても過言ではないです。

映画『グレイテスト・ショーマン』はまさに夢と希望のファンタスティック・ショーを体現した映画ですが、『グレイテスト・ショーマン』では夢とプライベートを天秤にかけて片方を取ったことで失敗し、改心した後に両方を手に入れています。ラ・ラ・ランドは対照的です。

そう思うと、日本でのプロモーションは夢と希望のファンタスティックショーが主軸になっていて、本質にマッチしてなかったように思う。

ミュージカルに明るくない方は、これをみてミュージカルを判断しようとするのは悪手ですね。

ラ・ラ・ランドの本質はセッション。これを念頭に置いて観るのがおすすめです。