【映画感想・考察】『名探偵コナン紺青の拳』人間の本質を暴き出す青い宝石
『名探偵コナン紺青の拳』見ました!!!
2016年の「純黒の悪夢』で激しくコナンにハマって以来、人生をかけたジャンルとして追ってきた名探偵コナンですが、今年も公開初日に見に行きました。
前年の『ゼロの執行人』に比べ、かなりキャラクター映画としての側面の強い作品だったと思います。
その背景には、長岡智佳と言う監督の存在があります。
昨年の『ゼロの執行人』は、脚本に『相棒』シリーズの櫻井武晴を迎え、検察と弁護士、そして考案の利害関係が絡み合うクリミナルサスペンスとして硬派な味わいがありました。
それに対し、長岡智佳は平次と和葉の恋にフォーカスを当てた2017年のコナン映画、『から紅の恋歌』で副監督をつとめていたこともあり、キャラクターたちの感情や関係性を描くのを主軸とした構成が多いようです。
犯人の1人が冒頭で判明していて、黒幕の存在が透けている 話の途中で黒幕が消去法でわかってしまう といった点で、伏線やミステリー・サスペンス・推理といった側面を期待していた人にとってはあまり期待通りではない展開だったかもしれません。
しかし、アニメや原作での展開を踏まえてみると、非常に良質なラブコメ・人間ドラマであったことがわかります。
丁寧なキャラクター描写、前作にはなかった「共感」という要素
まず、蘭はプールのシーンで「私達付き合ってるんだから」というセリフを言っています。ここで新一もキッドも(それぞれ別の意味で)かなりドキッとしていました。私もドキッとしました。キッドだけに。
これは、キッドに対して決定的な台詞によってキッドにそのことを認識させ、蘭が接近してキッドの証拠をつかんだり、確保のために腕を掴むことに違和感を覚えさせないようにするための言葉だったと考えられます。
かなりの覚悟がないとできることではありませんね。新一の姿で現れたキッドを見抜き、それを捕まえようとする胆力は、新一への愛が成せるワザでしょう。
園子に関しては、全編通して年相応の恋する女の子としての魅力が存分に発揮されていました。明るく溌剌とした園子と、控えめで紳士的な京極のやり取りは、もっと見ていたいと思わせてくれましたね。これだけで2時間映画作って欲しい。
また、それを踏まえた上で輝くのがラストシーンでの園子と京極のシーン。
ここでは園子の髪の毛が降りた状態で描かれています。
心理学的に、目や眉に髪の毛がかかっている状態は、人をミステリアスに、大人っぽく見せるそうです。
ひたむきに友人を応援する園子の姿を見て彼女を好きになった京極ですが、そんな園子の色っぽい表情も発見してしまったわけです。たまらんな。
演出によって、京極から見た園子の魅力を自然に引き出しています。"蘭に関しても園子に関しても、男が理想として作り上げたわざとらしい可愛さではなく、男女ともに好感が持てるような、ナチュラルな可愛らしさの描き方が絶妙でした。
この「キャラクターに共感できる」と言う点は、前作にはなかったものです。
紺青の拳という青い宝石が示したメタファー
何より評価すべき点は、紺青の拳という青い宝石が示したメタファーの数々です。
ブルー=青は海や空、水、地球を想起させる色であり、世界でもっとも好感度が高い色ともいわれています。
また、『青い鳥』の童話、ノヴァーリスの『青い花』、『青春』と言う言葉に見られるように、青には人々が追い求めたり、未熟、未完、手に入れられないものの象徴とされます。
そんなブルーサファイアを世界中の人が『青い海』の底に追い求め、骨肉の争いをしていたわけです。 そして同じくそれを追い求めたキッドは『水』の底に沈められそうになり、レオンは若き日に傷つけられたプライドと得られなかった富と名声、リシは帰らない父親の復讐を求めています。ブルーサファイアへ求めるものは、みんな『青』への欲求へ帰結します。
美しく青い宝石は、同時に恐ろしい人間の本質を暴き出しているのです。
そこで特筆すべきは京極真と言う存在です。 彼は「自分より強い相手」という、日本では得られなかったものを強く求めていました。
しかし、京極はトーナメント出場を辞退し、園子の側にいること、守ることを決意していました。 闇雲に拳を振るうことよりも、大切な人を守ることを決めたのです。
たとえ大切なものである園子自身に嫌われたとしても。そういうとこだぞ。
京極は園子という存在によって、青の呪縛から解き放たれたと言えます。キッドがブレスレットを切ったことに対して、最初は「自分の力で切るんじゃないんか〜い」と思ったのですが、この青の呪縛から解き放たれた時点で、彼にはブレスレットを切る資格があったということなのではないでしょうか。
そして、ラストでキッドもブルーサファイアを手放しています。 「私の欲しかったものではなかった」これは、『若き日の妄執』や『過去の復讐』という、青への欲求の正体をキッドが見抜いた故だといえるでしょう。
これらのメタファーは、クリミナルサスペンスとして硬派に描かれた前作とは毛色が全く違うものの、見事に描ききられていたと思います。
個人的な好みで言えば、前作のほうがわかりやすく緊張感があって好きなのですが、今作もビッグタイトルの最新作として遜色ない仕上がりだったのではないでしょうか。
ここまで書いておいて何ですが、私は来年映画の予告が衝撃的すぎて初見での感想は全て吹き飛びました。覚えているのは夜景、スコープの緑(ここで死んだ)、池田秀一の声です。
今、2回目を見終わってからこれを書いています。
映画感想【ラ・ラ・ランド】本質は「セッション」に近い狂気
今更ながらラ・ラ・ランドについて書こうと思います。
まずは概要から。みんな知ってると思うけどぬるっと読み飛ばしてね。
ラ・ラ・ランドの概要
『ラ・ラ・ランド』は2016年に公開され、軽快な音楽と陽気なダンス、俳優たちの真に迫った演技が話題になりました。
世界中で大ヒットし、日本でも多くのファンを掴んだのは記憶に新しいですよね。
主演はエマ・ストーンとライアン・ゴズリング。この2人は本作で一般的にも有名になりました。
脚本・監督は『セッション』のデミアン・チャゼル
脚本・監督を務めたのはデミアン・チャゼル。
チャゼルは大学教授と教師を両親に持ち、映画を作る事に憧れつつ、ミュージシャンになろうと高校生の時にジャズに打ち込みます。
この経験が2014年の『セッション』の基となっています。
『セッション』がオスカーを獲得し、名実ともに実力のある監督となったチャゼルは、2016年に『ラ・ラ・ランド』を撮影し、一気に世界的に有名な監督になりました。
『ラ・ラ・ランド』を彩る音楽
『ラ・ラ・ランド』の目玉といえば何と言っても音楽。
その中でも特に評価されているのが『City of Stars』という曲です。
本編中で2度登場し、ソロとデュオで歌われたこの歌は2017年のアカデミー賞を受賞したほか、多数の有名な賞を獲得しています。
郷愁的な味わいの中に、ジャズの要素が残るこの楽曲はまさにミュージカルとジャズに親しんだオスカー会員のツボを抑えています。うーん巧い。
監督とジャスティンは大学時代に出会うとバンドを組み、卒業後も一緒に仕事をしている友人同士です。『セッション』でも重要な音楽シーンを任されており、『ラ・ラ・ランド』と合わせて高い評価を受けています。
ラ・ラ・ランドのあらすじ
夢追い人が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミア<エマ・ストーン>は女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末のバーでピアノを弾くセバスチャン<ライアン・ゴズリング>と出会う。彼はいつか自分の店を持ち、本格的なジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合うが、セバスチャンが生活のために加入したバンドが成功したことから二人の心はすれ違い始める……。
あらすじとしては古典的なロマンス映画です。
後述しますが、この「古典的」というのがこの映画の本質として効いてくるところですね…。
ラ・ラ・ランドの感想・考察(ネタバレあり)
ラ・ラ・ランドの世界観
さて、私個人の感想になりますが、ラ・ラ・ランドが好きか嫌いかで言えば好きです。
音楽はポップ、ダンスはエネルギッシュなシーンが多いにも関わらず、『City of Stars』のような曲が挟まれる通り、全体に寂寞とした雰囲気が付き纏います。
これは、ミアとセバスチャンの2人のプライベートな関係性や、2人の持った夢はある種、運命的でキラキラしたものである一方、仕事や将来性といった公共性のある側面では不安や先行きの暗さを感じさせていて、作品全体の、「感情だけは確かなのに足元の確かさは感じられないふわふわした状況」をうまく表していると思います。
字書きが好きな世界観って感じでかなりエモいです。
でもミュージカル映画の傑作と称されてるのは納得いかない。
あれは名作ミュージカル映画のコラージュを使ったクリエイティブに対する狂気を観る映画だと思うんですよね。
感情移入できないはずの主人公たち
ミュージカルの根幹って夢と希望のファンタスティックショーであると思うんだけど、ラ・ラ・ランドはそれに真っ向から相対するテーマだと思います。
夢と希望のファンタスティック・ショーの権化みたいな映画のパロディを切り貼りしてるから一見そう見えるんだけど、主題は夢と希望を追いかけた末に何を捨てたか、そして捨てたことに対する一縷の寂しさと、納得。これかなりアイロニックです。
将来性のない、確かでない夢をがむしゃらに追いかけるために、唯一確かなもの(=感情)を手放すことができて、それに納得できてしまうという狂気。
芸術で成功する人って、きっとこういう人です。私はそうではないし、多くの人もそうではないから、きっとミュージカルというテクスチャーの奥が見えてこない。
ラストの2人がつつがなく将来を手にした部分を見せて、現実はそうではないというシーンは諸行無常って感じで好きだけど、あれは主人公2人に感情移入していなかったから受け入れられた所があります。
誰もが共感できそうな「古典的なロマンス」の要素を入れておいて、それは成就しない。狂気を持たない私たちは、「古典的なロマンス」という部分に騙されてしまいます。本質はそのセオリーを否定する狂気にあるのに。
私たちはこの2人に感情移入すると思いきや、実はできるはずがないんです。芸術に対する狂気は持っていないから。
本質的には『セッション』
映画『セッション』では、芸術に対する醜くむき出しの情熱と狂気を描き出していましたが、同じスタッフだと思うと納得。
あれは実質ミュージカル版セッションといっても過言ではないです。
映画『グレイテスト・ショーマン』はまさに夢と希望のファンタスティック・ショーを体現した映画ですが、『グレイテスト・ショーマン』では夢とプライベートを天秤にかけて片方を取ったことで失敗し、改心した後に両方を手に入れています。ラ・ラ・ランドは対照的です。
そう思うと、日本でのプロモーションは夢と希望のファンタスティックショーが主軸になっていて、本質にマッチしてなかったように思う。
ミュージカルに明るくない方は、これをみてミュージカルを判断しようとするのは悪手ですね。
ラ・ラ・ランドの本質はセッション。これを念頭に置いて観るのがおすすめです。
自己紹介
初めまして。SAY HO 納言と申します。
気軽に納言とお呼びください。
映画を見ながらコスプレしたり画像を作ったりしている者です。
仕事について
職業はSEOマーケター・ライター・編集者・コスメコンシェルジュ・レタッチャー・カメラマンなど色々。
新卒入社した会社で上記のことは一通りやっていました。
インターン含めて編集・SEO・ライターの実務経験は3年。レタッチャーは5年。
現在はフリーでディレクターをしています。SEOアフィ・コラム・取材などなんでも。
写真もそこそこ撮れますし、写真スタジオにてグラビア・アーティスト・舞台ビジュアル・ナイトワークの人物レタッチ実務経験があります。
フォトショやLightroomでのレタッチは超得意です。それだけで食べていた時期もありました。
簡単なものならイラストやロゴ、サムネイル画像も作成できます。
映画やアニメ、イベント中心にエンタメ・美容(化粧品検定1級、コスメコンシェルジュ資格あり)・ファッション・SNS・生活雑貨・デザイン・SEO・マッチングアプリなどが得意ですが、基本的になんでも書けます。不動産やお金など堅いものもOK。WordPressで入稿できます。
可能な業務
・SNS(Twitter、Instagram、Facebook等)投稿用・記事サムネイル用の画像作成
・YouTubeのサムネイル画像作成
・ライティング
・構成
・校正
・メディアでのディレクション(編集)
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気軽にお声掛けください。
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過去の作品
社会人時代に運営していたエンタメ系メディアで執筆や企画をした記事です。
エンタメかつSEOメインだったので純粋な読み物としては微妙な部分もありますが、その中でもなんとか価値のあるものを作ろうと頑張ってました!
『アベンジャーズ』シリーズの解説記事
各作品のあらすじ紹介のライティング以外の編集・構成・イラスト・ライティング全てを担当。
Twitterで800いいねを獲得し、ちょっぴりバズリました。
映画『メリー・ポピンズ リターンズ』の小ネタ解説記事
企画・編集・ライティングを担当。
化粧品使用レポート記事
企画・写真・編集を担当しました。
一時期SEO1位になり、各メーカーさんにもかなり好評をいただきました。
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プライベートについて
オタクなので映画を見たりコスプレしたりしています。
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